第33回校長BLOG

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中庭集会(5月27日)挨拶より

今、中庭の泰山木が咲いています。学名 Magnolia grandiflora、ラテン語で大きな花のモクレンと言った意味でしょうか。その名の通りモクレン属の堂々たる常緑高木で、この季節に牡丹の花のような白い大きな花を上向きに咲かせます。とても良い香りがします。

本校の校章にもなり、校歌でも「花あり あふるる 白きひかり、ゆたかなるかな 葉かげ薫れり」と歌われています。花言葉は『前途洋々』だそうです。本校の生徒にぴったりですね。中庭の校舎側にありますので是非見てください。

さて、今年はコロナ禍3年目でやっと警戒しつつ学校行事が戻りつつあります。遠足は全学年で実施され、これから、6月の体育祭、7月からの林間学校、9月の辛夷祭、11月の学習旅行と、すべてが実現してほしいと切に願っています。そういえば、今年の辛夷祭のテーマは『マグノリア新世紀』でしたね。

一方、皆さんはこのコロナ禍でどうしても運動不足気味だと思います。行事や部活動では熱中症が心配です。もちろん先生方は注意していますが、皆さん自らが自己管理するようお願いいたします。2年生、3年生の皆さんは、自分のことだけでなく1年生の調子もよく見て熱中症を予防してください。

さらに、辛夷祭では毎年キャスト決め等をめぐりトラブルがよく起きます。これは仕方ないことだし悪いことだとは思いません。互いに熱中して取り組めばトラブルも起こる。それを生徒間で解決する経験が大事です。その経験が社会人となった時の生きる力につながります。もちろん、そのトラブルが該当の行事の範囲を超えて、個人攻撃やネット等での炎上など生徒だけでは解決できそうも無い状況になったら、すぐに学校として対処しますので先生方に相談してください。

今月の一冊は、村上春樹、『一人称単数』、文藝春秋。短編集です。村上春樹の作品は、大きな社会の構造を硬質の筆致で描いたものと、個人の繊細な心の震えを叙情的に捉えたものとがあります。この短編集は主に後者であり、読み進めると心が潤います。因みに、この村上春樹の二面性を一冊で明確に表しているのが、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』であり、こちらも私の最も好きな春樹ワールドの一冊です。一読を。

第32回校長BLOG

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今回は、入学式辞と新入生オリエンテーションでの挨拶という、両方とも1年生に向けた挨拶を載せます。あえて2つを並立させるのは、入学式辞がアグレッシブで理想主義的なのに対して、オリエンテーションの方は少し肩の力を抜いた現実主義的なものだからです。自己撞着と思うかも知れませんが、タフに生きていく上では多少の矛盾を併せのむくらいの柔軟性・適当さをつけてほしいと思っています。

オリエンテーション挨拶の方は、あっちこっち寄り道しています。文体の調子の違いも楽しんでください。

 

Ⅰ 令和四年 入学式式辞

季節の主役が、満開の桜から緑の若葉に替わりつつある、この清々しい日に、三百二十二名の希望に満ちた新入生の皆さんを迎えることができ、学校として、まことに慶びに耐えません。

 

・・・中略・・・

 

入学式を心待ちにしていらした保護者の皆様。新型コロナウイルス感染症のまん延防止のために、ご参加に制約をしたことをお詫び申し上げます。さらに、コロナ以前にあった在校生による校歌や式歌の演奏も中止せざるを得ませんでした。学校としては大変残念な気持ちです。しかし、ここは新入生・保護者の皆様・在校生・教職員の健康と安全が第一優先です。もう少しの我慢で、新型コロナウイルス感染症の一刻も早い収束を実現させましょう。

今、世界は、新型コロナウイルス感染症だけではなく、ロシアによるウクライナ侵攻や、台頭する中国にどう対応するのかという問題、さらには地球温暖化をはじめとしたグローバルな環境問題など、難問が山積しています。底流には、経済のグローバル化とデータサイエンス、バイオサイエンスの急激な進歩があります。

これからの国際社会は、Society5.0に象徴される超情報化社会と一時代前の力による支配とが両立併存する不安定な状況に突入します。私たち一人ひとりと日本はどのような立ち位置を占めて、この難関にあたっていくのか。ここ十年が勝負でしょう。

『彼を知り己を知れば百戦殆からず』

敵のことと自分のことの双方をよく知っていれば、戦っても負けることはない。紀元前500年頃の兵法家・孫子の言葉と言われています。孫子は軍事思想家として当時の軍事理論を『孫子(本の名前)』としてまとめ、今でも歴史に残る名著と言われています。私がここでいう敵とは例えば戦争です。戦争を無くすためには、戦争について目を背けずしっかり勉強する必要があるのです。参考文献として他には、紀元前1世紀ローマの軍人、政治家、文人である、ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』と『内乱記』、第二次大戦前後の日本人の作家大岡昇平の『レイテ戦記』をあげておきます。読んでみてください。

さて、これからの日本社会と国際社会とは、皆さんが作っていくものです。是非、最大多数の最大幸福を目指す側に立ち、良い仕事をしていってほしい。そのために必要なのは、基礎基本の定着と、生涯にわたり学び続ける姿勢と方法を身に付けておくことです。

私は、最近、どのような場でも言っていることですが、基礎基本も含め、今身に付けた知識・技能はすぐに陳腐化します。その速度は恐ろしいほどです。

それでは、学ぶ意味はないのか。

そんなことはありません。むしろ、学ぶ意義はより深くなっています。ただ、学校教育が完成教育ではなくなったということです。これからの社会で生きる人は、一生学び続けなければなりません。学校を卒業しても、自分の置かれた場で、自分で必要なことを探し、自分で身に着けていかねばなりません。そのための、学校教育であり、本校での学習です。生涯学び続ける姿勢と方法を身に付けるためには、逆説的ではありますが、基礎基本が大事です。

本校で、教科の学習はもちろん、探究活動や行事、部活動などを通じて、本物の学力と気力と体力を身に付けてください。そして、困難さを増す国際社会で、困っている人を助ける姿勢と力を培ってください。

If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.

タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていくに値しない

レイモン・チャンドラーのハードボイルド小説プレイバック中での私立探偵フィリップ・マーロウのセリフです。

皆さんが本校で積極的に学び、楽しく活動し、卒業する時には、それぞれの希望する進路に向かい元気に飛び立つことを今から願っています。頑張ってください。

次に、保護者の皆様に申し上げます。

この度は、お子様のご入学、誠におめでとうございます。

本日より大切なお子様をお預かりし、学校としてできる限りの教育を行い、お子様の健全なる成長を支援してまいります。

入学に当たり、学校として保護者の皆様にお願いが三つございます。

第一は、生徒が自立した人間となるよう、温かくも適切な距離をもって接してほしいということです。高校生は思春期真っ盛り、独立心が芽生える時期です。致命的でない程度の失敗を冒すこと、リスクを取って挑戦することを許してほしいと思います。挑戦と失敗が人間を育てます。もちろん、致命的な失敗とならぬよう、適切かつ毅然とした指導は必要です。

第二は、第一と矛盾するようではありますが、お子様が「高校生として必要かつ望ましい習慣」を身につけるよう、ご家庭でのご指導をお願いしたいということです。高校生の年代は、経験も判断力もまだまだ未熟です。また、高校生を取り巻く環境は決して安心できるものではありません。そういう状況で、良き習慣を身につけさせるためには、ご家庭でのご指導が是非とも必要です。

最後は、本校の教育方針をご理解頂き、学校との連携をお願いしたいということです。生徒の実態と社会の状況を踏まえた本校独自の教育方針があります。このことをご理解頂いた上で、ご家庭と学校が車の両輪となり、お子様の成長を支援していきたいと考えております。何卒、よろしくお願い申し上げます。

結びに、本日入学した三百二十二名の新入生の皆さんの充実した高校生活と、健やかな成長を祈念し、式辞といたします。

 

Ⅱ 新入生オリエンテーション挨拶

 

「あれか、これか」または無理をしないことについて

 

「あれか、これか」とは、19世紀デンマークの実存哲学者、キエルケゴールの著書の題名である。人は人生で決定的な選択を迫られるという内容である。

因みに古典的な哲学書、デカルト、パスカル、モンテーニュ等によるものは時間をかけてじっくり読めば大よそ言いたいことはわかる。ところが、カント、ヘーゲル、キエルケゴールといった近代哲学は何度読んでもわかりにくい。これは、前者が人に共通に備わった(とされている)良識、常識から思考を出発させているのに対し、後者はその良識、常識を疑うところから出発しているからだと、私は思っている。

ところで、文武両道とよく言われる。学校で言えば、学習と部活・行事、もちろん両立・鼎立が望ましい。理想的な姿ではある。つまり、『あれも、これも』の状態である。しかし、この両立・鼎立は時に通常の(健康的な範囲の)努力では実現しない場合がある。一方、時に楽々と両立・鼎立させられる人もいるので混乱が生じる。

他の例を出そう。『健全なる精神は健全なる身体に宿る』ということが言われる。では、逆に言うと、身体が健全でなければ精神も健全ではないというのか、

当然違うであろう。これは、もとになった古代ローマの詩では、『健全なる精神が健全なる身体に宿ってあれかし』すなわち、そうあってほしいものだ、両立は極めて難しいから神様にでも祈ろう、という意味だったらしい。

本題に戻る。それでは、私たちはどうやって日々を過ごせばよいのか。特に、現代のように感染症が蔓延し、戦争が起こり、全地球規模の環境問題が深刻な状態にある、『あれも、これも』が困難なこの世界において。

私の願望は、個々の生徒が優先順位(プライオリティ)を確立してほしいということだ。例えば私の考えでは、現下の高校にとっての優先順位は、第一に心身の健康、第二が勉強、第三が部活と行事だろう。それでも余裕があれば、バイトでもゲームでもお好きなようにということになる。

優先順位さえ決まれば、自分の体力、知力、気力に応じて、上から順に達成していけばよい。先の優先順位を仮に認めるなら、学校としては、少なくとも第二の勉強まではコロナ禍であっても何とか達成してほしい。できれば、部活や行事にも積極的に参加して、生きる力を磨いてほしい。しかし、幸か不幸か、健康第一にしっかり高校の勉強に励み、部活や行事で活躍していたら、バイトやゲームにエネルギーを割ける生徒はほとんどいないと思う。

昨日の入学式のスピーチでは知的冒険を進めたが、今日は敢えて現実主義で『つまらない常識』を言う。自分のことをよく知り、心身を痛めるような無理はしないでよい。場合によっては、無事卒業を目指すというのも一つの立派な目標である。

第31回校長BLOG

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されど『マキャベリズム』、または理想と現実との相克

校長 大野 弘

先日、卒業生から、校長ブログを楽しみに読んでいると聞いた。本当にうれしかった。自分の思いを受け止めてくれる人がいるということは、何よりも力になる。読者の皆様、有難うございます。

さて、ロシアによるウクライナ軍事侵攻から3週間あまりとなる。一刻も早い戦争終結とウクライナに平和が戻ることを心から願う。

この軍事侵攻の原因については、ロシアによる過剰防衛(アメリカとNATOにより自国の安全が脅かされるのを防ぐためとの思い込み)という見解が多数のようだが、本当の理由はなかなか分からないし、将来にわたりすっきりしないかもしれない。ただ、私は、たとえどんな理由があろうと、トラブルを戦争で解決しようということは最悪の行為だと考える。

因みに、これと似た行為は、ソビエト連邦(とその友好国の軍事同盟であるワルシャワ条約機構軍)がハンガリー(1956ハンガリー動乱)やチェコスロバキア(1963プラハの春の弾圧)に攻め込んだことに見られる。どちらも、ソ連の考える社会主義体制とは異なる社会主義体制を築こうとしたため反発された。これは、私の偏見だが、どうも軍事的に強力な国は、君主制か社会主義か民主主義かといった、形式的な社会体制の違いにかかわらず、その国の内外に強力に抑制しうる者・組織がないと暴走しがちである。

一方、そのソビエト連邦に大いに逆らいながら攻め込まれなかった国もある。ユーゴスラビアとアルバニアである。ユーゴスラビアはスターリンと対立し、逆にアルバニアはスターリン批判をしたソ連と対立した。しかし、どちらの国も、ソ連やワルシャワ条約機構軍に攻め込まれることはなかった。

ユーゴスラビアは社会主義国でありながらアメリカの支援さえも受けて軍備を増強するとともに、アラブ連合共和国(エジプトとシリアが連合していた)やインド、インドネシア等の国々と非同盟諸国というある種の『同盟』関係を築いていた。さらに、チトーという強いリーダーが長期に支配していた。

アルバニアもソ連と対立して、当時ソ連のライバルであった中国に接近、軍事援助を得て当時としては強力な軍隊を持つと共に国内にトーチカや核シェルターを配備するなど国をハリネズミ化し、指導者ホッジャのほとんど独裁ともみえる強力な国内管理を行った。

つまり、軍事大国に攻められない要因として、この少ない情報からのみで考えれば、①ある程度強力な軍備、②適切な同盟・外交、③国内の安定、ということになる。

これは、先に述べた、戦争は最悪という見解に矛盾するかに思える。理想的には『非武装中立』、一切軍備を持たずどこの国とも軍事同盟を結ばないことが望ましいのである。ところが、今、世界中で文字通り非武装中立である国を私は知らない。武装中立であったスイスやスウエーデンでも、今回のロシアのウクライナ侵攻をみて中立路線を見直そうかという動きがあると聞く。されど『マキャベリズム』という所以である。

ルネッサンス期にフィレンツェ共和国に仕えたマキャベッリ(1469-1527)は、自国を守るために、自前の軍隊と適切な同盟・外交、そして国内の安定が必要であると説いた。マキャベリズムというと、目的のためには手段を択ばないということだけだと思われがちであるが、外交官として当時の紛争やまないイタリア半島で実際に交渉・調停にあたっていた人物が、現実主義に立って国のあり方や戦争について語っているのである。少なくとも『反面教師』として読んでみる価値は大いにある。

ということで、今この世界情勢の中での今月の1冊。『君主論』、ニッコロ・マキャベッリ、岩波文庫他。