第45回校長BLOG
衆議院選挙について
10月27日に今回解散した衆議院の選挙が行われる。同時に最高裁判所の判事の審査も行われる。3年生の約半数には投票権がある。多分、初めての選挙、しっかりと考えて是非投票してほしい。投票は権利だが、民主主義というシステムを動かすためにはなくてはならない行為であり、投票率が低いということは、多くの国民の意見が国政に反映されないことを意味する。
日本をはじめ多くの国では、議会の選挙は候補者個人への投票であるとともにその候補者の属する政党への投票と言うことになる。誰に、あるいはどの政党に投票するかを決めるデータとしては、公約が最重要である。公約は、現在の日本の政治的経済的状況をどのように捉えているか、その解決策として何を考えているかを説明している。
今回の各政党の公約をみると、税金を安くするとか、現金給付をするとか、行政サービスを向上させるとか、地域のためになる工事をするとかと言った主張が多い。どれも良いことのように聞こえる。しかし、考えてみよう。現金給付とか行政サービス向上とか新幹線網や高速道路網を充実させるとか、みな金がかかることである。これは税金を下げることと矛盾する。どこかを増やせばどこかを減らさなければならないのは常識である。何かを得るためには、「身銭を切る」すなわち自分が対価を払う必要があるという認識が必要だ。公約は多面的に検討しなければならない。
最近、アメリカ合衆国でもヨーロッパでもアジアでも、政治姿勢の左右を問わず大衆迎合政治・ポピュリズムが力を増している。最高権力者がポピュリズムの政治家と言う国もある。論理より感情に訴え、有権者に心地よいことのみを言い、その裏にある厳しい面にはあえて目をつむる。短期的にはある一部の人には有益かもしれないが、全体としてはマイナスの政策を主張し、一時は得をしたと思った人たちさえも結局は損をするといったことがある。自分たちだけが得をしようとするのではなく、最大多数の最大幸福を目指したいものだ。
本校の有権者である3年生には賢い有権者になってほしいし、それに続く他の生徒の皆さんも、集団主義の「大衆」ではなく、一人一人が自分の頭で考える「賢い市民」になってほしい。
最後に、以上は積極的に政治に関心を持とうという話だったが、むしろ規制があるという話。18歳未満の人が選挙運動をしてはいけない。皆さんがついやってしまいそうな具体例をあげると、選挙運動の内容等を、SNS上で書き込んだり、動画共有サイトに投稿したり、リツイートや転送したりしてはいけない。くれぐれも注意を。
注)以上の内容は、10月18日に行われた中庭集会で生徒に向けて話をしたものです。
第44回校長BLOG
令和五年度 卒業式
早春の気に満ちたこの良き日に、三百五名の卒業生の門出を迎えましたことは、学校としてまことに慶びに耐えません。本日は、ご多用の中、本校設置機関を代表して、東京学芸大学副学長・事務局長 坂本 淳一様、後援会・泰山会会長 川口 浩子様、同窓会・辛夷会会長 武田 佐知子様、をはじめ多くの方にご来校いただき、皆さんの卒業を祝っていただいております。有難うございます。
三年前の入学式では、新型コロナウイルス感染症の影響で、設置者も後援会も同窓会もご招待できませんでした。その上、保護者の皆様さえご来場いただけませんでした。国歌・校歌の斉唱もできませんでした。あの時に比べれば、今日の卒業式は、関係する皆様にご祝福していただく中での旅立ちとなります。心のもつれがほどける気持ちです。
まず、保護者の皆様に申し上げます。
本日はお子様のご卒業、本当におめでとうございます。本日に至るまで、本校の教育活動に深いご理解とご協力を賜りまして誠にありがとうございました。大切なお子様をお預かりし、教職員一同、精一杯取り組んでまいりましたが、行き届かなかった点も多々あったかと存じます。至らなかった点につきましては、この場をお借りしお詫び申し上げます。今後は、附高卒業生の保護者として、本校へご助言・ご指導を戴き、附高が現在と未来の生徒にとってさらに良い学校となるよう、ご支援を賜りますようお願い申し上げます。
生徒の皆さんは、今日を迎えることができた感謝を、是非保護者の方にお伝えしてください。皆さんを第一に思い、皆さんが憂いなく高校生活を送れるよう、保護者の方々は心を配ってくださいました。皆さんは十八歳となり、選挙権も持つ成人です。感謝すべき人に、きちんと感謝を伝えられることこそ立派な大人です。心は言葉にしなければ伝わりません。
さて、入学式では、コミュニケーションとデジタルトランスフォーメーションの話をいたしました。新型コロナウイルス感染症の影響で、コミュニケーションは阻害されるが、デジタル技術等でそれを乗り越える中で、新たなコミュニケーションの形が生まれるかもしれないと予想しました。アフターコロナの新しい世界で、真のリーダーとして活躍し国際社会に貢献するために、本校の三年間で、『一生学び続ける姿勢』と『学ぶ方法』を身につけてほしいと訴えました。
案の定、コロナ以降の社会は、特にコミュニケーションにおいて一変しました。デジタルトランスフォーメーションも進んでいます。例えば、学校と皆さんとのやり取りはBLENDというツールにより迅速かつ容易にできるようになりました。コロナ以前では、全生徒全家庭への連絡は、プリントの印刷と配布で大変な手間がかかったものです。さらに、オンラインならではの利点として、今まで授業や会議ではほとんど発言しなかった人が、チャット機能を利用して積極的に発言するという嬉しい状況もありました。
一方では、このパンデミックの間に急激に進化したAIにより、コミュニケーションにおける負の局面も明らかになりました。フェイクニュースをはじめとする偽情報や悪意ある情報の迅速かつ世界規模の広範な広がりです。このことは、国際社会の分断を加速しました。今まで権威あるものとされた情報ソースへの信頼が薄れ、自分の主張に近い情報のみを信じ再生産する人々の出現です。ポピュリズムの流れであり、一世紀前にスペインの思想家オルテガ・イ・ガセットが批判した社会の、大規模な到来です。独立した市民の論理より大衆の感情が優先される社会。世界は、経済的合理性による近代的なグローバル社会ではなく、血縁関係と言語によって定義される国民国家、アイデンティティによる社会へと移行しつつあるかにも見えます。イギリスのEU離脱、アメリカ大統領選、ロシアによるウクライナ侵攻、パレスチナでの戦闘、最新情報でのモルドバ親ロシア勢力によるプーチン大統領への支援要請と、一連の流れを感じます。
しかし、こんな時こそ、若い皆さんが頑張るときです。皆さんは、生涯学び続ける「姿勢」とそのための「方法」を身につけているはずです。この二つのツールを持って、国際社会に変革をもたらし、人々のために分断を解消させてください。分断を煽る側ではなく、社会を融和させる側に立ち、尽力してください。
そのためには、簡単には倒れない強さ(レジリエンス)と、努力を継続する持久力が必要です。社会を変えることは簡単にはいかない。長期間にわたる絶え間のない挑戦となります。しかし、この代価を払ってこそ、望ましい未来が作られるのです。社会のために貢献する人こそ、真のリーダーと言えるのです。
希望の大学を目指す時間、大学での学問の日々、社会人としての苦労の年月。その中では、好調の時だけではなく、困難な時、絶望感にかられる日もあるでしょう。しかし、その苦労の時間が大切なのです。その時間が人を成長させます。ヘンデルでもベートーヴェンでも、ヨーロッパの音楽家の伝記を読むと、周囲からもうだめになったと思われた失意の日々が、実はその音楽家の畢生の代表作を作曲した、人生における絶頂の時だったということがよくあります。
焦らず、慌てず、諦めず、したたかで柔軟な人になってください。努力を惜しまず、決してあきらめない、勤勉な楽天家になってください。そして、時には高校時代を思い返し、本校に遊びに来てください。我々教職員も、皆さんに負けぬよう、皆さんの後輩を支援してまいります。
結びに、卒業生の皆さんのさらなる成長と、ご家族の皆様のますますのご多幸とご発展を祈念し、そして現在の日本で多くの困難に立ち向かっている勇敢な人々にエールを送ります。
フレ~、フレ~、卒 業 生、フレ、フレ、卒業生、フレ、フレ、日本
第43回校長BLOG
新年の挨拶、またはキッシンジャーという生き方
あけましておめでとうございます。今年、2024年が皆さんにとり充実した良い年となるよう願っています。
とは言っても、正月元旦の令和6年能登半島地震、2日の日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機の衝突事故と悲劇が続きました。関係する皆様に心からお見舞い申し上げます。地震は日本に住んでいる限り避けられない、起こったときの被害を少しでも減少させるために準備することが大事です。一方、航空機事故は原則的には双方が規則を守りさえすれば防げるはずです。原則が現実化するためには適切なコミュニケーションが必要です。後者の事故は、原因を十分に調査し二度と起こらないように予防策を講じなければなりません。
さて、昨年は、残念ながら多くの有名人が亡くなりました。私が最も印象深かったのは、ヘンリー・キッシンジャー(Henry Alfred Kissinger)博士が100歳で亡くなったことです。ロシアによるウクライナ侵攻が2年目となり、ガザ地区におけるイスラエルとハマスの戦闘は収束の目途が付きません。こんな時に、キッシンジャーが亡くなった。『降る雪や明治は遠くなりにけり』、そんな感慨を持ちました。
ヘンリー・キッシンジャーは、1923年にドイツでユダヤ系ドイツ人として生まれ、ナチス政権に追われるようにアメリカに移住します。ハーバード大学で国際政治学の博士号を取り同大学で国際関係論を講義しました。1969年に国家安全保障担当の大統領補佐官に就任して、国際政治・外交の檜舞台に登場します。これ以後、歴代のアメリカ外交に大きな影響力を持つようになり、多方面の関与をしています。1971年には隠密裏に国交のなかった中国を訪問し米中国交正常化に大きく貢献しました。1973年には国務長官に就任するとともに、ベトナム戦争終結を決定したパリ和平協定によりノーベル平和賞を受賞しています。また、同年勃発した第四次中東戦争でもアラブとイスラエル双方を訪れ調定(シャトル外交)の努力をしています。最近でも国際政治に一定の影響力を持ち、2023年には中国を訪れ、習近平(シー・ジンピン)国家主席と会談しています。
キッシンジャーの外交方針は、徹底した現実主義(リアリズム)と(特に大国間の)力の均衡にあります。そういう意味では、ナポレオン戦争後のウィーン会議を勢力均衡という戦略でリードしたオーストリアの宰相メッテルニヒの弟子とさえ言えると思います。本質的には平和主義だとは思うのですが、自国の利益と、『最大多数の最大幸福』のためには、少数者や弱小国を切り捨てることも厭わなかった。一時期のベトナム戦争の拡大や、チリのクーデターへのコミット等々から、その一端がうかがわれます。他方で、軍事力(ハードパワー)を前提にしながら出来るだけそれを使わない外交政策(ソフトパワー)は、米中国交回復でソ連と対峙すると言った芸術的な成果をもたらしました。正に、『外交というものは、形を変えた戦争の継続状態である』(周恩来)という言葉を現実化したものです。
流石に晩年は世界の動きを読み損ねていた感もありました。しかし、彼が往時の鋭い知性でアメリカ合衆国の国際政治・外交にあたっていたら、現代の国際状況はもう少しはましだったのではないかと夢想することを禁じえません。現代は、自国の利益最優先は半世紀前以上ですが、現実主義のバランス感覚は極めて軽視されているかに感じます。大統領としての資質より『大統領になるための資質』が非常に高い人がトップになったとしても、最盛期キッシンジャーの再来と言われるような補佐官がいれば、何とかなるのではないかというのが目下の果敢ない希望です。
自分の理想を世界に実現すること、そのためにトップリーダーとなる方法は直接ですが、極めて有能なフォロワーとなり満足できる業績を積むこと、キッシンジャーという生き方もありなのかと思います。もちろん、国際政治・外交に限ったことではありません。
主文は少し硬い話だったので、新年の一冊は目先を変えて落語の勧め。昔、柳家小三治で『芝浜』と言う落語を聞きました。とても良かった。
『芝浜』は、江戸後期から明治にかけての落語家である名人初代三遊亭円朝が、客から、芝浜、よっぱらい、財布というテーマをもらいその場で即興で創って演じた三題噺であると言われています。
年の暮れ、腕は良いが酒飲みの魚屋がおかみさんに言われて未明に魚を仕入れに河岸に向かう。浜に出ると潮の香りがして、増上寺の鐘の音が聴こえてくる。岩に腰掛け一服やる。そこで大量の金貨の入った財布を拾い、ということから話が始まります。おかみさんが、亭主の魚屋が「ねこばば」で捕まらぬよう、心を入れ替えて地道に働くよう、財布を拾ったのは夢だと嘘をつき、その後日談としての人情噺が続きます。
未明の芝浜でのセリフ、「ああ鐘がなってらあ、芝の海を渡ってくるからいい音なんだ。…ほうら白んできた。カモメが飛び始めたぜ」。話を聴いている私の目の前に白々と明け行く芝の浜が広がりました。絶品です。
もちろん、この話の後半の魚屋夫婦の情愛もしみじみと良い。ネットでも聴けます、是非。