第13回校長BLOG

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新方法序説(概念規定)

 みなさん、こんにちは。新型コロナウイルス感染症への対応である緊急事態宣言がさらに3週間以上延長されました。生徒の皆さん、保護者の皆様、自粛の疲れも出てくるかとは思いますが、今が肝心です。頑張って、感染症の収束を目指しましょう。

 さて、何かを成す時には、目的と方法とが肝心です。物事を考える時も同じです。かなり偏った見方ではありますが、目的は観念的で、価値体系、文化にかかわり、多様です。方法は即物的で、価値のシステムにかかわらない分、一般的で、応用が利きます。

 従って、こういった見方によれば、学ぶべきは「方法」だということになります。考える方法を身に付けておけば、いろいろな国や地域で、どんな宗教・文化・価値観の人とでも、議論し協働することができます。ルネ・デカルトの「方法序説」が時空を超えて読み継がれている所以です。

 今、生徒の皆さんは在宅学習期間で、考える方法を学ぶ良いチャンスです。ピンチをチャンスに変えましょう。そこで、今日から適宜、私の考える方法をお話ししましょう。もちろん、それは、絶対的真理など含まない、便利な道具程度のものです。だからこそ、役に立つのです。

 先の第11回校長ブログで、感染症の終息と収束について議論するにあたり、次のように、それぞれの言葉を定義しました。「ここでは、終息とは、世界中で感染者がいなくなり、一般人はその感染症について無くなったものと考えてもよい状況と定義します。天然痘などがそれです。収束とは、新たな感染者数が減少し、医療崩壊の危険性は去り、一般人が普通の行動ができるようになった時と定義します。」このように、議論を始める前に、「私は、この場で、この議論のために必要な言葉をこのように定義して使います」と宣言することが概念規定です。

 これがきちんとできていれば、議論がかみ合わないことがずっと減ります。同じ用語を、異なった意味で使っていたのでは議論が成立するはずがありません。さらに、自分自身が自分の議論を精査し進めていくうえでも、自分の議論のよって立つ場である用語の定義に戻ることが有効になってきます。

 皆さんは気が付いたかと思います。概念規定は、「今」、「この場で」、「私は」このように定義して使うということを宣言しているだけで、「正しいかどうか」には無関係だということです。即ち、問題にするのは、概念規定から出発した議論の道筋が矛盾していないかどうか(内的整合性がとれているか)に過ぎません。

 とりあえず「正しいこと」を仮定したうえで議論を進め、途中の議論の整合性(構造)のみに集中し、その議論・理論の価値は、その理論体系が役に立つかどうか、または美しいかどうかで決めます。

 数学の公理主義は、このような考え方の方法に似ていて、ある前提となる概念規定をもとに体系を構築していきます。「直線上にない1点を通ってこの直線に平行な直線は1本のみである(ユークリッド幾何学)」、は一つの公理(概念規定)体系に過ぎず、「直線上にない1点を通ってこの直線に平行な直線は無限に存在する」、「直線上にない1点を通ってこの直線に平行な直線は存在しない」(共に非ユークリッド幾何学)としても、幾何学の世界は構築できます。因みに、ここでいう「平行」とは互いに交わらないという定義です。

 このように考える方法は、伝統的、自然的なものではありません。しかし、ギリシア文明以来の欧米流の考える方法の極北として、20世紀(21世紀ではない)以降のグローバル社会での思考法として、身に付けて損はありません。

 この方法は、少なくとも理論上は価値観とは無関係に議論できるので、グローバル社会でダイバーシティ(異なった宗教、文化、価値観)に配慮した判断を下す際に有効となるでしょう。それに、大前提が「たかが」ここだけの約束から始まっているので、変に自分が、自分のみが絶対的な真理をつかんでいるなどと誤解しないで済みます。

演習問題
 原子核物理において、放射線、放射能、放射性物質とは次のような定義である。この時、下の( ① )から( ④ )はそれぞれどの言葉が適切か答えよ。答えは次回の校長ブログにて。

 定義
 放射線:α線、β線、γ線等の高エネルギーの物質粒子及び高エネルギーの電磁波のこと
 放射能:原子核が崩壊して放射線を出す能力のこと
 放射性物質:放射能をもつ物質のこと

 問題

 A この岩石は( ① )が強い
 B この場所は( ② )が強い
 C 誤って強い( ③ )を浴びてしまった
 D この水は( ④ )で汚染されている。

 今週の一冊、

 フランスの数学者・哲学者ルネ・デカルト、「方法序説」、岩波文庫。考える方法の別格大本山。哲学的に考える方法というより、自然科学における思考法、実験の方法が学べる結構実用的な本。皆さんのうち一人でもこの本を読んでくれれば、この校長ブログの意味があったというもの。私の高校の倫理の夏休みの宿題が「方法序説」を読んで概略を書いたうえで論ぜよというものだった。読んで驚いた。

 是非、ご一読を。

 では、また来週このブログでお目にかかりましょう。お元気でお過ごしください。

第12回校長BLOG

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ダイバーシティの危機、または感染症蔓延下における寛容の精神について

 みなさん、こんにちは。緊急事態宣言から2週間がたち、本校の休業も5月6日までから5月10日(週休日を含んで)までに延長されました。それ以降についても今週中には何らかの動きもありうるこの頃。生徒の皆さん、保護者の皆さんも、いろいろなことに耐えてご自身の健康を保つために工夫していらっしゃることと存じます。
さて、先週のブログでネット上の情報、フェイク情報の見分け方等についてごく簡単に話しました。確かな情報をもとに行動するようにお願いしました。
先日のニュースで恐れていたことが起こっていることを知りました。それは、宅配便の運転手の方に、コロナを運ぶな等の暴言を投げつける人がいるとの報道です。同様のことは医療従事者のご家族にもあったとのことです。言うまでもなく、これらの方々は、ご自身にリスクを負いながら社会のため、皆のために働いてくださっている人です。感謝されこそすれ、非難されるべき人ではありません。そうした人々に対して、自分の不安、自分の恐怖を、フェイク情報等をよりどころとして投げつけているというのです。
さらには、地方において地元のナンバーでない車に嫌がらせをすることが頻発し、予防のため地元の○○県ナンバーでない車に「○○県在住者」等のステッカーを貼る人さえいるとのことです。もちろん、不要不急の遠出は自粛すべきではありますが。
このように、同じ国のなかでも自分と違う立場、自分と異なる地域の人に、「差別的言動」をする人もいるのですから、自分と異なる、宗教、民族、国籍の人にはさらなりというところでしょう。事実、アジアで日本人が、欧米でアジア人が、差別されているとのことです。(以上、NHKニュース)
こんな時こそ、危機の時こそ、人間としての品位が問われるのです。自分の不安を他へのバッシングに向けない。不確かな情報をもとに他者を差別したりしない。自分と異なるものを悪いものだと思わない。自分自身が、身の回りの人に誇りをもって接しましょう。寛容の精神が必要です。
一方では、医療従事者や流通を担っている人たち、社会を回していくためにリスクを負って働いている人を応援しようという動きも出てきています。それは、身の回りのことに限らず、他の国、特に医療状況の悪い国への支援にもつながります。身近な困った人への思いが、世界中の困った人への支援につながることこそダイバーシティの尊重であり、本校生徒の最大の目標とするところです。
今週の一冊、19世紀フランスの生理学者クロード・ベルナール、実験医学序説、岩波文庫。あのルイ・パスツールに、「実験という実にむずかしい技術の原則に関して、これほどの完全な、これほど深い著書は今まで現れたことは無い」と言わしめた本です。探究活動での皆さんの実験計画の参考となるでしょうし、人生の指針、生涯にわたる行動の「方法」となるかもしれません。是非、ご一読を。
では、また来週このブログでお目にかかりましょう。お元気でお過ごしください。

第11回校長BLOG

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感染症の終息・収束について

大野 弘

 

生徒の皆さん、保護者の皆さん、今日は。

入学式、始業式から2週間がたちました。生徒の皆さん、ご家族の皆さんお元気でお過ごしでしょうか。学校に来られない生徒の皆さんも、仕事が思うに任せないご家族の皆さんもご苦労されていることと思います。

今日は、私がこの新型コロナウイルス感染症(感染症名をCOVID-19というそうです)の終息・収束について調べたことをお話しします。日本やアメリカの技術雑誌、医学関係雑誌の情報で、元になる学術論文名も明記されていたので「今現在」としては確度が高い情報だと思います。

まずはここで使う言葉の概念規定から。終息と収束という言葉が使われています。ここでは、終息とは、世界中で感染者がいなくなり、一般人はその感染症について無くなったものと考えてもよい状況(もちろん国際的な感染症の専門機関では警戒は続けています)と定義します。天然痘などがそれです。収束とは、新たな感染者数が減少し、医療崩壊の危険性は去り、一般人が普通の行動ができるようになった時と定義します。収束状況であっても、地域によっては、またある時に、再び感染・流行が起こりえます。

ポイントはワクチンです。ワクチンが完成し世界的に供給されるまでは、終息はもちろん、収束もないでしょう。有効で副作用の少ないワクチンが開発されて普及し、ウイルスの変化速度も小さいと終息するかもしれません。しかし、ウイルスの変化速度が大きいと、昨年のワクチンではあまり効かないウイルスが発現し、新たなワクチンを開発する必要があります。普通のインフルエンザウイルスがこのタイプですね。したがって、インフルエンザは決して終息しません。しかし、その年に合ったワクチンを接種しておけば、感染しないか、感染しても重症化することを防げます。また、抗ウイルス薬(タミフル等)もあって、感染した時の重症化を防ぎ治療もできます。

新型コロナウイルス(ウイルス名をSARS-CoⅤ-2というそうです)も変化は速そうなので、最善のケースで、この普通のインフルエンザ同様ではないでしょうか。すなわち、ワクチンが完成して世界中で普及した時に、とりあえずは収束する。しかし、世界中どこかの地域、どこかの時期では、再び感染し流行も起こる。けれども、ワクチンもあるし(場合によっては抗ウイルス薬もあるし)パンデミックまではいかず、その地域、時期に、適切な行動制限(学校なら、学校ごとの学校閉鎖や学級閉鎖)をかければ収束する。

では、肝心のワクチンの完成予定はどうなっているのでしょうか。ワクチンの開発には普通5年以上かかるものだそうです。ワクチンの効果のシステムは、弱毒化したウイルスや死んだウイルスを体内に入れ、体内の免疫機構を活性化し、本物のウイルスが侵入してきたときに備えるというものです。その開発段階として、①まずワクチンとして使えそうなものを作り、②それが健康な人に悪影響を与えないことを臨床試験する(3か月くらい)、③それが患者に効くことを臨床試験する(6か月以上)、④そのワクチンを打った時にウイルスが入ってきても免疫機構が過剰反応(免疫増強)を起こさないことを臨床試験する(6か月以上)、の4段階があるそうです。④での免疫増強への対応検査は大事で、多くの開発中のワクチンで、免疫増強が起こり、ウイルス自体より大きな障害(例えば免疫機構の暴走によりひどい肺炎を起こす)を起こすことがあるそうです。

現状は、①と②がすみ、③にかかりつつあるそうです。そうすると最短であと1年はかかるということになる。これは緊急の状況なので最大限のスピードをもって手続き上の時間を極力かけないで行った場合です。

こう考えてくると、行動自粛は長引くかもしれません。また、完全な収束ではなくても、ある程度の行動再開はあるかもしれません。その時に備え、私たちの自宅での学習も充実させ、十分な成果を収めるようにしたいと思います。今、ネット上ではいろいろな情報が飛び交い、フェイク情報も多いようです。生徒の皆さんは、情報元を確認する、情報相互に矛盾がないかを確認する等の注意をして、確かな情報をもとに行動するようにしてください。

今週の一冊、辻邦夫、嵯峨野明月記、中公文庫。私は新潮社の布で表装したハードバックで持っていますが、極めて美しい装丁です。今はあまり読まれていない作家かもしれません。本能寺の変から徳川幕府開設にかけての時期、本阿弥光悦、俵屋宗達、角倉与一の3人が、それぞれの時代と自分のなすべきこととの間にどう折り合いをつけるのか。3人の声が、闇の中から呟き始めます。時代と自分を調和させた本阿弥光悦、周囲など一切かまわず自分の天性を最大限に発揮した俵屋宗達、現実と学問・芸術との狭間に迷い苦しんだ角倉与一。特に、光悦が至った「心意気しか残されていないところ」の心境は感動的だ。是非、ご一読を。

では、また来週このブログでお目にかかりましょう。お元気でお過ごしください。