第19回校長BLOG
Withコロナ、またはパラダイムシフトについて(その2)
みなさん、今日は。コロナに関する話は打ち止めとしたいところですが、なかなか状況がそうはさせてくれません。
最近の話題では、COCOAというアプリがありました。厚生労働省による政策で、正式名称は、新型コロナウイルス接触確認アプリ COVID-19 Contact-Confirming Application、頭文字を取ってCOCOAとよびます。無料でアプリをスマホにダウンロードしておくと、互いにわからない形で感染者に接触した可能性を知らせてくれるというものです。
①陽性者がアプリで登録すると、1m以内で15分以上接触した可能性のある人にアプリから連絡がある。
②連絡を受けた側が、自分の症状等をアプリに入れる。
③症状があった場合、最寄りの帰国者・接触者外来等の予約・受診を案内される。受診しその指示に従う。
④症状がない場合
④-1身近に感染者や症状のある人がいる場合
最寄りの帰国者・接触者外来等の予約・受診を案内される。受診しその指示に従う。
④-2身近に感染者や症状のある人がいない場合
14日間は体調の変化に気をつけ、もし症状があったらまたアプリに入力し指示に従う。
一部の国と地域(中国、韓国、台湾)で行われたこの種のアプリとこのアプリの大きな相違は、任意性にあります。即ち、ダウンロードするのも、陽性者が登録するのも任意で強制ではありません。個人の動向や個人情報は把握されません。この任意性の利点と限界をわきまえつつ、検査の受診などの保健所のサポートを早く受けるメリットを選ぶということです。
厚生労働省のHPによると、8月25日17時現在の、このアプリのダウンロード数は約1479万件で、陽性登録件数は407件だそうです。日本人の1割以上の人がダウンロードしたのですね。
現状では、日本における、特に首都圏や関西圏における感染は特別な場所等に限られず、いわゆる市中感染となっています。ワクチンの開発と普及には1年から2年かかりそうだという世界の専門家の意見によれば、私たちはまさに、withコロナの状況にあり、しばらくはこの感染症と賢く付き合っていくしかない。ポイントは3点、①最小限の社会活動は続ける。②高齢者や持病のある方など重症化率の高い方への感染を防ぐ。③感染が一か所で急増することを防ぐ。
③の意味は、医療崩壊を防ぐことにあります。総計で同じ人数感染したとしても、少人数ずつ、長期にわたり発生したなら医療的に対応ができるが、ある地域で短期間に爆発的に増加すると対応できなくなるということです。医療崩壊が起こると、COVID-19の重症者への適切な対症療法ができなくなるばかりでなく、他の疾患や怪我等の重症者への治療もできなくなり、死亡者数が増加してしまいます。
今、私たちが注意すべきは、前から言われている日常的な注意、3密を避け、手洗いを励行し、不要不急の外出を避けて、集団感染を予防し、特に高齢者や持病のある方への感染予防に最大限の注意を払うということでしょう。生徒の皆さん、クラスターの発生を予防するためには、皆さんの日常的な注意が是非必要です。
そういった対応をしながら、ワクチンの開発・普及を待つ。既に言われているように、ワクチンを打てば感染しないわけではなく、重症化を防ぐ程度だそうですが、インフルエンザワクチンを考えるとそれで充分ともいえます。
さて、その日常的な注意を守りつつ、社会活動、学校教育を進めていくためには、今までとは異なる形態とある種の覚悟が必要になってきます。社会全体では、在宅勤務をはじめとした新しい勤務形態と、労働集約型から知識集約型(創造性重視)の産業構造への変化とが進むことでしょう。日本の既成の年功序列、ジェネラリスト重視から、成果重視とジョブ型雇用の新しい雇用形態へと変化が急速に進むと思われます。
学校教育でも、オンライン授業、オンライン会議やオンライン懇談会を今後も進めていかねばなりません。附属高校では、この変化をマイナスに捉えるのではなく、チャンスととらえて、積極的に対応していこうと思います。
学校としてもできるだけ生徒への支援をしていくつもりですが、withコロナでは、生徒自身が自分で積極的に学習し知識と方法を定着させる必要があります。いよいよ、学校教育が与えられるものではなく、自分からとっていくものになってきたわけです。生徒一人一人の覚悟と努力の差で、結果は大いに異なってくるかもしれません。
今月の一冊は、『愛なき世界』、三浦しをん、中央公論新社です。とてもわかりやすい、面白い、気楽に読める物語です。勉強疲れの頭休めにどうぞ。1人前のコックを目指す若者が、T大で植物学を研究している人々、特に若き大学院生の女性に魅かれつつ新たな世界を知る物語。そして、その若き院生の研究者としての喜びと葛藤を描いています。三浦しをんは、編集者を描いた『舟を編む』や林業に携わる若者を描いた『神去なあなあ日常』など、十分に取材してその職業への敬意をもって小説を書いています。キャリア教育として読める小説です。『愛なき世界』では、理系の研究者の世界と日常を知ることができます。皆さんも笑いつつ身につまされることも多いのではないでしょうか。ご一読を。
第18回校長BLOG
利己的な遺伝子または新型コロナウイルスについて
みなさん、こんにちは。新型コロナウイルス感染症は未だ収束せず、東京都とその周辺では最大級の警戒が必要な状況です。この感染症も一種の風邪であるなら、高温多湿の夏でさえこの状況では、低温乾燥の秋から冬にかけては相当な予防策を取らねばなりません。そして、緊急事態宣言下で述べたように、効果的なワクチンや抗ウイルス薬の開発・普及がなされるまで、少なくとも1年単位での長期戦を覚悟しておきましょう。逆に言えば、それだけの長期にわたるわけですから、十分な予防策を取りつつ、学習をはじめとした社会生活はできる範囲で前向きに行っていかねばなりません。予防にはルーティンを守ることが大事です。手洗いとマスクの励行、3密を避ける、発熱など風邪症状があったら休んでもよいではなく休まなければならない。自分と周囲の人のために、しっかり守りましょう。
話は変わって、リチャード・ドーキンス(1941~)というイギリスの生物学者がいます。「利己的な遺伝子」という本を書き、進化の担い手は遺伝子であり、遺伝子が自分と同じ遺伝子を増幅させるために進化があるというものです。もちろん、遺伝子に意志などなく、環境への適応の競争の結果そうなるという説明です。生物・個体など遺伝子を運ぶ乗り物(vehicle)に過ぎないという比喩も有名です。
この説は生物学的には異論もあり、彼同様に著名なアメリカの生物学者S・J・グールド(1941~2002)との論争は有名です。しかし、進化の本質が遺伝子にあるという主張は、生物学にとどまらず、世界を知的・論理的に捉えようとする人々に大きな衝撃を与えました。遺伝子を中心に考え、多くの動物が自らの子を守るために自分を犠牲にしたり、社会性のアリやハチが同じ巣の仲間のために自分を犠牲にしたりすること(利他行為)を自らの遺伝子と同様の遺伝子を増殖させる行為と考えると納得しやすいからです。
生物の存在理由は、「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」であるなら、利己的な遺伝子という発想は意味深いものであり、生物屋ではない私は、そもそも、生物の本質はこのことにあるのではないかとも妄想してしまいます。
そう考えると、最も端的で面白い「もの」があります。今話題のウイルスです。ウイルスは殻を持った遺伝子そのものと言えます。コロナウイルスは、ヒトなどの生命体に入り込み、さらに宿主の細胞内に自らの遺伝子(RNA、普通の生物の遺伝子はDNAでしたね)を解き放ち、他人の細胞内の物質を使って自らの遺伝子(即ちコロナウイルス)を大量に複製して増えていく。そのために、ヒトは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)にかかってしまう。宿主の褌で相撲を取る憎い奴です。しかし、利己的な遺伝子説で考えると、コロナウイルスが宿主に対して致命的であることは有利なこととは思えません。感染した宿主がすぐに死んでしまってはそれでおしまいで、遺伝子はそれ以上増えることができない。戦略的には、水痘(水ぼうそう)ウイルスのように、「やたら感染力が強い割には多くの場合宿主に致命的な影響を与えず、しぶとく体内に残って感染の機会を窺う」方がよいように思えます。即ち、進化論的には、そして長期的(残念ながら1年や2年ではないでしょうが)には、コロナウイルスも感染力はそのままに弱毒化し単なる風邪ウイルスの一種になったほうがよいし、そうなるのではないかと妄想するわけです。
ところで、生物屋さんたちは、ウイルスを生物とは認めていません。他の生物を利用して増殖する「もの」という扱いです。生物の定義として、①外的環境と内部との隔壁があること、即ち細胞膜を持つ細胞があること、②エネルギー変換をする代謝系をもつこと、③自己増殖すること、などがあげられています。ウイルスは細胞も代謝系もないので生物ではないということになってしまいます。しかし、門外漢の私には、①や②は、生物学にとって対象を学問的に限定するためには有効でも、決定的な要因とは思えません。利己的な遺伝子という発想を生かせば、③に特化したウイルスこそ生物の本質そのもの、純粋生物と言えるのではないでしょうか。皆さんはどう考えますか。
ということで、今月の1冊、リチャード・ドーキンス、「利己的な遺伝子」紀伊国屋書店。重要な本ですが、面白く読めます。純粋生物屋さん以外にも、いや「以外の人」が喜ぶ本でしょう。ものの見方が変わります。
では、またこのブログでお目にかかりましょう。お元気でお過ごしください。
第17回校長BLOG
緊急事態宣言解除後の生活、または、パラダイムシフトについて
みなさん、こんにちは。緊急事態宣言はやっと解除されました。しかし、東京都の新規感染者数を見ると、まだまだ安心はできません。今、生活スタイルとして最も重要なのは、感染症の第2波、第3波に備えつつ、言わば、恐る恐る普通の生活に戻していくことです。備えが無ければ、次の波が来た時に悲惨な状況になるでしょうし、そもそも、次の波に備えること自体が次の波を予防することにもなります。緊急事態宣言解除を受け、私たち教員も生徒の皆さんも気を緩めることなく、3密を避ける等の対応をしっかり続けていきましょう。
感染症対応、命と健康を守ることは最重要です。しかし、社会においてはそれだけでは足りない。社会生活を維持することも大事です。難しいのは、その二つのことが相反する事態が多いことです。世界を見渡しても、かなり多くの国と地域が経済的要求から感染症対応を緩和しています。
日本は、そして私たち附属高校は、両側が切り立った断崖のやせ尾根を歩いていくごとく、バランスを取って安全かつ着実に進んでいかねばなりません。
前にも書きましたが、新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、世界の経済に激震を与えました。グローバル化した経済構造はウイルスの世界中への伝播を助け、その対応として国を閉ざすことによりサプライチェーン(物の供給の連鎖)が断裂し製造業が成り立たなくなりました。非製造業でも特に日本では対面での事業を主として来たので大いに困りました。会議も営業もできなくなったからです。学校教育も対面を前提にしてきたので、どうしていいのか悩みました。
しかし、感染症対応と社会生活維持とを両立させるために、いわば「外的要因により強制的に」システムの改革が進みました。製造業では、ベルトコンベヤーでの製造ラインから無人搬送車に未完成の製品を載せそれが自分で工場内の必要な場所に動いて完成させるラインに改造し自動化を進めた工場や、サプライチェーンのトラブルに備え3Dプリンターを活用して消費地に近い場所で生産するシステムが広がっています。会議や営業活動も、技術的には可能だが「決断」ができず進まなかったテレビ会議やオンライン営業が感染症対応で一気に促進されました。学校でも、オンライン授業やテレビ会議が進みました。
テレビ会議等では、相手の感情が読み取れないとか、場の雰囲気がわからないと言った批判がありました。しかし、実際に実行してみると、確かに相手への忖度ができないという欠点がありますが、その反面、合理的な資料に基づいた判断ができる、主題から脱線した議論になりにくいなどの特徴もありました。また、インダストリー4.0(生産現場でデジタル技術を活用して「もの」同士が情報を交換し合って多品種少量生産等を効率的に進める製造システム)やオンライン授業、テレビ会議を進めるために、職場のIT環境が改善され、職員のITスキルが向上するといった効用もあったそうです。
これらの、仕事の場(学校教育も含め)の変化は、働き方の改革にもつながります。感染症対応として普及した在宅勤務やテレビ会議等は、感染症収束後も続きそうです。その結果として既に人事制度を変えつつある企業が複数出てきています。新しい在宅勤務にも対応できる人事制度とは、一言で言えば成果主義です。一時は日本の企業も成果主義を取り入れようとしたのですが、旧来の労働環境・労働慣習と相いれず思ったほどは進みませんでした。しかし、在宅勤務では、労働時間に応じた評価ではなく、成果に応じた評価を取らざるを得ません。職務内容を明確にした上でできるだけ客観的に成果を評価しようとしています。分析、企画、立案といった業務は特に在宅・成果主義の勤務に適応しやすいそうで、富士通では管理職にこの成果主義(ジョブ型というそうです)を導入するとのことです。これにより、他のOECD諸国に後れを取っていた非製造業での生産性の向上が期待できるとのことです。
新型コロナウイルス感染症により、多くの被害が出て、困難な事態も多々あります。少しでも早い収束を心から願っています。しかし、この事態からひたすら逃げることを考えるだけではなく、次にこのような事態がまた出来した時の準備もしておく必要があります。それは新たな感染症だけではなく、戦争や貿易戦争、地震や津波といった自然災害かもしれません。このような事態に対して、社会生活を維持するためには、旧来の社会システムではない新たな社会システムが必要です。よく言われることですが、この新型コロナウイルス感染症という世界的なピンチを人にとってより良い社会システムへの改革のチャンスにしたいものです。以前、ダニエル・デュフォーやアルベール・カミュの「ペスト」を紹介しました。過去のペスト大流行では、それにより社会は大きく変化したそうです。社会構造とそれに伴う価値観・規範の体系などの劇的な変化をパラダイムシフトと呼びます。今は、まさに、世界中がパラダイムシフトの真っ最中だと考えます。変化の時は、若者にとってチャンスの時です。
日経新聞の「池上彰の大岡山通信」によると、アイザック・ニュートンは、ペストによりケンブリッジ大学が休校になり、ふるさとで過ごして、万有引力や微積分のアイデアのきっかけを構想したそうです。こうした時間を創造的休暇と呼ぶそうです。生徒の皆さん、皆さんもコロナ禍で転んでもただでは起きないで、学校での拘束時間が短いことを創造的休暇に転じてください。
今月の1冊、アメリカ合衆国のH・D・ソローの「ザ・リバー」、宝島社。自然文学の作家、代表作は「森の生活」。このザ・リバーも川について淡々と記した随筆集です。このパラダイムシフトの時代に、このような静的な文学を読むのも良いのではないでしょうか。アメリカはもとより世界中の知識人に深い影響を与えています。
では、またこのブログでお目にかかりましょう。お元気でお過ごしください。