第43回校長BLOG
新年の挨拶、またはキッシンジャーという生き方
あけましておめでとうございます。今年、2024年が皆さんにとり充実した良い年となるよう願っています。
とは言っても、正月元旦の令和6年能登半島地震、2日の日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機の衝突事故と悲劇が続きました。関係する皆様に心からお見舞い申し上げます。地震は日本に住んでいる限り避けられない、起こったときの被害を少しでも減少させるために準備することが大事です。一方、航空機事故は原則的には双方が規則を守りさえすれば防げるはずです。原則が現実化するためには適切なコミュニケーションが必要です。後者の事故は、原因を十分に調査し二度と起こらないように予防策を講じなければなりません。
さて、昨年は、残念ながら多くの有名人が亡くなりました。私が最も印象深かったのは、ヘンリー・キッシンジャー(Henry Alfred Kissinger)博士が100歳で亡くなったことです。ロシアによるウクライナ侵攻が2年目となり、ガザ地区におけるイスラエルとハマスの戦闘は収束の目途が付きません。こんな時に、キッシンジャーが亡くなった。『降る雪や明治は遠くなりにけり』、そんな感慨を持ちました。
ヘンリー・キッシンジャーは、1923年にドイツでユダヤ系ドイツ人として生まれ、ナチス政権に追われるようにアメリカに移住します。ハーバード大学で国際政治学の博士号を取り同大学で国際関係論を講義しました。1969年に国家安全保障担当の大統領補佐官に就任して、国際政治・外交の檜舞台に登場します。これ以後、歴代のアメリカ外交に大きな影響力を持つようになり、多方面の関与をしています。1971年には隠密裏に国交のなかった中国を訪問し米中国交正常化に大きく貢献しました。1973年には国務長官に就任するとともに、ベトナム戦争終結を決定したパリ和平協定によりノーベル平和賞を受賞しています。また、同年勃発した第四次中東戦争でもアラブとイスラエル双方を訪れ調定(シャトル外交)の努力をしています。最近でも国際政治に一定の影響力を持ち、2023年には中国を訪れ、習近平(シー・ジンピン)国家主席と会談しています。
キッシンジャーの外交方針は、徹底した現実主義(リアリズム)と(特に大国間の)力の均衡にあります。そういう意味では、ナポレオン戦争後のウィーン会議を勢力均衡という戦略でリードしたオーストリアの宰相メッテルニヒの弟子とさえ言えると思います。本質的には平和主義だとは思うのですが、自国の利益と、『最大多数の最大幸福』のためには、少数者や弱小国を切り捨てることも厭わなかった。一時期のベトナム戦争の拡大や、チリのクーデターへのコミット等々から、その一端がうかがわれます。他方で、軍事力(ハードパワー)を前提にしながら出来るだけそれを使わない外交政策(ソフトパワー)は、米中国交回復でソ連と対峙すると言った芸術的な成果をもたらしました。正に、『外交というものは、形を変えた戦争の継続状態である』(周恩来)という言葉を現実化したものです。
流石に晩年は世界の動きを読み損ねていた感もありました。しかし、彼が往時の鋭い知性でアメリカ合衆国の国際政治・外交にあたっていたら、現代の国際状況はもう少しはましだったのではないかと夢想することを禁じえません。現代は、自国の利益最優先は半世紀前以上ですが、現実主義のバランス感覚は極めて軽視されているかに感じます。大統領としての資質より『大統領になるための資質』が非常に高い人がトップになったとしても、最盛期キッシンジャーの再来と言われるような補佐官がいれば、何とかなるのではないかというのが目下の果敢ない希望です。
自分の理想を世界に実現すること、そのためにトップリーダーとなる方法は直接ですが、極めて有能なフォロワーとなり満足できる業績を積むこと、キッシンジャーという生き方もありなのかと思います。もちろん、国際政治・外交に限ったことではありません。
主文は少し硬い話だったので、新年の一冊は目先を変えて落語の勧め。昔、柳家小三治で『芝浜』と言う落語を聞きました。とても良かった。
『芝浜』は、江戸後期から明治にかけての落語家である名人初代三遊亭円朝が、客から、芝浜、よっぱらい、財布というテーマをもらいその場で即興で創って演じた三題噺であると言われています。
年の暮れ、腕は良いが酒飲みの魚屋がおかみさんに言われて未明に魚を仕入れに河岸に向かう。浜に出ると潮の香りがして、増上寺の鐘の音が聴こえてくる。岩に腰掛け一服やる。そこで大量の金貨の入った財布を拾い、ということから話が始まります。おかみさんが、亭主の魚屋が「ねこばば」で捕まらぬよう、心を入れ替えて地道に働くよう、財布を拾ったのは夢だと嘘をつき、その後日談としての人情噺が続きます。
未明の芝浜でのセリフ、「ああ鐘がなってらあ、芝の海を渡ってくるからいい音なんだ。…ほうら白んできた。カモメが飛び始めたぜ」。話を聴いている私の目の前に白々と明け行く芝の浜が広がりました。絶品です。
もちろん、この話の後半の魚屋夫婦の情愛もしみじみと良い。ネットでも聴けます、是非。