校長BLOG

第41回校長BLOG

2023.4.6

妥協の勧め

始業式挨拶 完全版(実際の挨拶は時間短縮で短くしました。)

今年度最初の始業式です。今日は、妥協の勧めと言う話をします。

皆さんは小学校以来、自分の正しいと思うことをしっかりと持ち、簡単に妥協することなく主張するようにと教えられてきたかと思います。しかし、皆さんの多くは、どうやら現実の社会は違うようだ、自分たちの周囲も含め、社会は妥協の産物だと気がついているかもしれません。

智に働けば角が立つ、漱石の『草枕』の中の言葉です。一人一人がそれぞれ微妙に異なる正義感に基づき主張しあうと、「窮屈」になります。それが嫌で逃げだしたくても、社会的動物であるヒトは社会から逃げ切ることはできません。

社会で生きている限りは、必要悪としての妥協からは逃れられません。そういう中で、出来る限り自分を殺さず、他を尊重する生き方、いい意味での角を立てない生き方は無いでしょうか。

一つの戦略は、「最大多数の最大幸福を目指す」というものです。そもそも、世界は不条理であり、絶対的な正義はないと考える。その上で、絶対的な正義ではなく、相対的な善、即ち出来るだけ多くの人がより苦しくない、より快適なことこそが正義であると、とりあえず考える。この時の正義はたかが相対的なものですから、必要に応じて、時と場合によって、相手に譲ったり、相互に歩み寄ることも可能です。

このことによって、時には自分にとって不本意なことがあったとしても、社会の多数がこの立場に立って行動しているなら、多くの場合は自分にとっても生きやすい社会であるはずです。

無理せず、「てげてげ」(南九州の言葉で、大概・良い加減・適当)で生きることも偶には良いのではないでしょうか。

ということで、今月の一冊は、ベンサムではなくA・ビアス『悪魔の辞典』岩波文庫、辞書の体裁をとっていますが極めて皮肉な定義が並びます。例えば、

「革命(revolution)

政治において、政治形態ならぬ失政形態が急激に変化すること。通常、大量の流血を伴うが、それだけの価値は十分にあるとされている。ただし、そのような評価を下すのは、自らの血を流す不運に出会うことなく、利益だけを享受することになった連中に限られている。」ひねくれてはいますが、ウィットに富んでいて一面の真理ではある。

今まで、皆さんに良書ばかりを紹介してきたので、敢えて毒のある本です。煎った珈琲豆を齧ればブラックコーヒーの甘さが分かるというものです。一読を。