第48回校長BLOG

第48回校長BLOG

坂の上の雲 明治という時代と現代

 最近、坂の上の雲と言う2009年から2011年にかけてNHK総合で放映されたドラマが再放送されている。作家司馬遼太郎の同名の小説をドラマ化したものである。明治維新前後に生まれた、日本陸軍騎兵の創始者秋山好古、日本海軍の連合艦隊参謀真之兄弟と俳人正岡子規の青春と日清戦争、日露戦争を描き、明治維新後の日本という国の坂の上の雲を目指して歩むがごとき姿、即ち明治の精神を描こうとしている。
司馬の作品らしく、明快で爽快。朝鮮半島や中国大陸が欧米列強に植民地化されようとしているのを見て、若き日本は自国を守るために軍備を増強し、戦争をする。ほぼ地政学的・軍事的側面からのみ時代と戦争を説明し、経済的側面が弱い。が、そのことこそが、小説としてテレビドラマとして、物語性を際立たせ面白いものにしている。この虚構の明治に浸り味わってみよう。
 ドラマ中の印象的な言葉、秋山好古、「身辺は単純明快でいい」。秋山真之、「あしは一流の学者にはなれん、器用すぎる」。国家も戦略も単純明快が気持ちよい。精神的に非常に健康である。学者として一流の仕事をするためには、思い付きで勝負するようではだめである。石の上にも『30年』くらいの気持ち、愚直なまでの粘り強さが大事である。これらの明治の特性で、清国とそしてロシア帝国を破ることができたというのである。そしてこの明治の精神が衰えた時、二二六事件が起こり、満州事変とつながり、太平洋戦争の敗北をもたらしたというのである。
 繰り返すが、国家間の問題、国際問題について、経済的側面を軽視して単純化することは分かり易く爽快である。しかし、現実的に戦略を立てる際には大いに注意しなければならない。アメリカ合衆国をはじめ多くの国では、多くの変数に注目し多様な価値観を俯瞰しつつ判断するといった態度に疲れ、大衆迎合的な分かり易い議論と解決策が歓迎されている。これは精神と知性の退廃であり危険な兆候である。
一方、現代の利害と思惑が複雑に絡まりあい錯綜している(しすぎている)社会において、時にこの『明治の精神』は、個人が前に進むためには役立つのではないだろうか。自分探しの航海で難破している人、表明された以上に相手の思惑を探る人、自分がどう見られているか必死になって探りついには岩陰に隠れてしまう人。嘘でよいから単純明快に振舞ってみよう。与えられたこと自分で選んだことに不器用に集中し、1年や2年成果が出なくても愚直に継続してみよう。これは、逆説的には、きわめて贅沢な時間の使い方であり、有難いことなのかもしれない。
 国家間の問題と、個人の問題とではダブルスタンダードがあっても良いのかもしれない。  

第47回校長BLOG

第47回校長BLOG

知の冒険に旅立とう(中学生の皆さんへ)

 生成AIをはじめとしたIT技術の進歩と「時代遅れ」の戦争というなんともアンバランスな組み合わせの世界情勢の中、日本でも新たな働き方、新しい教育の時代が到来しています。本校生徒には、一人の人間として、AIを活用し、混乱した地政学の時代と社会を力強く生きてほしいものです。そして自分のためだけではなく、国際社会に貢献するために、自らが身につけた主体的に考え積極的に世界を変えていく力(エージェンシー)を活用し様々な分野でイノベーションを引き起こす人になってほしいと考えています。
 そのために、今年から再度指定された文部科学省のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)事業を大いに役立てたいと思います。理数はもちろんいわゆる文系、経済学でも法学でも文学でも、理数の考え方とツールとしての数学は必要です。広い教養と深い専門性を持って進学し社会に出て活躍できるような教育を目指しています。
 本校は、生涯学習し続ける意欲と方法を身につけた人間、多様な情報から意義のある課題を見出す人間、相手の多様な価値観と文化を理解し共に働いていく人間を育てます。柔軟で強かな粘りを持った人間はきっと困難な状況下でも活躍してくれると信じています。
中学生の皆さん、皆さんも本校での知の冒険に参加しませんか。

第46回校長BLOG

第46回校長BLOG

附属高校の70周年にあたって

1 附高は私の同時代人
 東京学芸大学附属高等学校は、昭和29年(1954年、以下便宜的に西暦を用います)に設置されました。人間で言えば、古希を過ぎたところでしょうか。一昔前ならば、古来稀な長寿だったわけですが、今ではやっとシニアの入り口です。各都道府県には、第二次大戦前から旧制中学校として開校している学校がありますので、新制高校として発足した本校は伝統校の入口にあると言えましょう。
私事になりますが、私は1956年生まれ、本校の2歳年下の弟です。附高に入学していれば19期にあたります。したがって、附高の沿革のうち、10周年記念行事以降の年月は大体記憶にありますし、ほとんど附高と私は同じ年月、同じ歴史を生きてきたと言えます。次男と三男の二人を本校でお世話になったこともあり、附高には単なる職場以上の思いを持っております。
2 附高の歴史と社会の動き
 ここで、来し方を振り返ってみたいと思います
 附高は、1954年に、この下馬に本部を置き、竹早と深沢の二か所の校舎で、生徒一学年四クラス208名で出発しました。この当時は、前年のテレビ放送開始や当年の自衛隊の発足、翌年のアジア・アフリカ会議さらにその翌年の日本の国連加盟と、日本社会も国際社会も大きく動いている時期でした。そもそも、日本がやっとのことで第二次大戦での占領下から抜け出して独立したのは、本校設置のわずか三年前ですから。つまり、まだまだ「戦後」の時代に本校は産声を上げたわけです。因みに、産業白書が「もはや戦後ではない」と記したのは、1956年でした。
 十周年記念行事のあった1964年は、前回の東京オリンピックの年、東海道新幹線も開通しました。四年前には安保条約改定、そしてアメリカが全面的に介入したベトナム戦争が始まっています。また、1966年から1976年にかけて、中国では文化大革命が起こっていました。これらの日本の動き、世界の動きは本校にも影響を与え、1969年には本校でも高校紛争が起こりました。本校は、この前後に今の施設設備が完成し一学年8学級となります。
 1974年の二十周年記念行事の二年前には、沖縄復帰や日中国交正常化がありました。本校ではマラソン記録会が開始され、タイ国留学生受け入れもこのころに始まりました。多くの生徒が東京大学をはじめとする第一志望の大学に進学し、進学校として社会的評価が高まりました。当時、都立高校生だった私にとり、附高は眩しい存在でした。
四十周年にあたる1994年前後には、EUの発足、阪神・淡路大震災、WTO設立がありました。本校ではこのころICTの教育活動への導入研究を進め、インターネットのデモストレーションやネットでの保護者見学会も行われています。現在の教育潮流の一歩先を行っていたわけです。
六十周年の2014年前後では、現在のウクライナ侵攻にもつながるウクライナ内戦、イギリスのEU離脱決定、熊本地震などが起こりました。本校では、文科省からSSH校に指定され、タイ王国のプリンセスチュラポーン・サイエンスハイスクール・チェンライ校との相互交流が始まっています。
 そして今、世界は、ロシアのウクライナ侵攻とパレスチナ問題をはじめとする地政学的危機と新型コロナウイルス感染症、地球温暖化などの自然界の危機に晒されています。生成AIや生命科学の進歩は、人間社会に構造的で急激な変化をもたらしています。本校でも、多くの生徒が伸び伸びと主体的に学ぶ一方、生徒個人、生徒相互間に構造的なトラブルが垣間見えます。
3 これからの附高
 来し方を踏まえて、附高の行く末を考えてみます。附高の生徒の特長は、知的好奇心に富み、新たなことに挑む挑戦心が強いこと、自主的、主体的で、積極的に行動することです。一方、都会的であるためか、地道な努力、粘り強さにやや欠けるきらいがあります。
 本日、記念式典でご講演いただく川合眞紀先生をはじめ、国際社会で活躍していらっしゃる先輩方が多い。それも、男性はもちろん女性の先輩のご活躍が顕著です。このことは、普通の共学校にはあまり見られない特色です。本校では、理科の実験をすると、グループによっては、女子生徒が操作をして男子生徒が記録する姿が見られます。このことは、人間の社会の半分は女性であり、少なくとも知的能力において男女差はないことを実証するとともに、本校では創立当初から女性がその能力を伸ばし発揮してきたことを証明しています。
 一方、女性の先輩方は、本校を卒業してから「ガラスの天井」に突き当たり、粘り強くそれを打ち破ってきたはずです。簡単には挫折しない力・レジリエンスが大切です。現在の附高生にも男女を問わず必要な資質です。このレジリエンスは、生成AIでも支援してもらえぬ力、一人一人が自力で身に着けておかねばならない力です。本校では、この力の育成を積極的に支援してまいります。
 本校の伝統である、自主的・主体的な行動力に、レジリエンスが加われば鬼に金棒です。現下の本校の育てたい人間像・グラデュエーションポリシーである、多様な分野でイノベーションを引き起こし国際社会に貢献する人間が育っていくことでしょう。このことは、最近言われている、生徒エージェンシー、自主的主体的に学び積極的に行動する特性にも通じます。
 古い革袋に敢えて新たな酒を注ぎ入れ、次の10年、さらには次の100年先にも通用する世界人材を育てていく。大学の支援、保護者や地域のみなさんとの連携と、教職員、そして何より生徒諸君の力で、そんな附高を作っていきたいものです。