校長BLOG

第21回校長BLOG

想像力の役割、または『アンという名の少女』について

今日は。さすがに彼岸が過ぎると涼しくなりました。家の野良朝顔(実生、たぶん小鳥の糞から生えた)が今になって元気に咲き誇っています。これから寒くなり乾燥してくると新型コロナウイルス感染症がどうなってくるのかが心配ではあります。
今回はテレビ番組の話から始めます。NHKで日曜日23時からカナダ制作の『アンという名の少女』というドラマをやっています。言わずと知れたカナダの作家ルーシー・モード・モンゴメリの『赤毛のアン』(『Anne of Green Gables』の村岡花子による訳)が原作です。
これがなかなか良かった。原作を生かしつつ現代風の味付けを微妙にしています。カナダのプリンスエドワード島の美しい自然とそこに生きる人々の生活を見事に再現しています。
そして、なんと言っても役者がいい。エイミーベス・マクナルティのアンは、誇り高くおしゃべり好きで想像力に富み明るいが、雀斑と赤毛とやせっぽっちであることを気にしているという既成のアンを演じるだけでなく、今までの辛い環境での体験から心に傷を負っていることを微妙に感じさせる演技が素晴らしい。アンを育てるカスバート兄妹の兄マシュー・カスバートを演じるR・H・トムソンは、内気で無口だが心優しく頑固な老人を好演、マリラに言い負かされて困ったような顔が秀逸です。何よりもマリラ・カスバートを演じるジェラルディン・ジェームズ、自他に厳しく甘い顔を見せてはいけないと思い込んではいるが、実は優しく思いやりの深い老女、厳しい顔を崩さないように意識しているが、時折、暖かい人間性がちらりと見えてしまうといった場面は素晴らしい演技です。
番組を気に入ったので、半世紀以上ぶりに原作が読みたくなりました。同居人が小学生の時に読んだという『赤毛のアン』を貸してもらい読んでみました。気になった「言葉」から感想を書きます。
1 マリラとマシュウの老兄妹のところに、農作業の手伝いのために男の孤児を引き取るはずがまちがって女の子が来てしまい戸惑います。マリラが「おいとけませんね。あの子がわたしらに、何の役にたつというんです?」と言うのに対してマシュウ「わしらのほうであの子に何か役にたつかもしれんよ」
ここでは、人を単なる労働力とみる立場から、想像力を働かせて、仲間、家族としてみて、何かをしてもらうという立場から何をしてあげられるかを考える立場に異化しています。飛躍してしまいますが、次の言葉を思いました。
『Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country. John F. Kennedy 』
2 お菓子作りでまちがって塗薬を混ぜてしまった失敗に対して、アンは
「マリラ、あすがまだ何ひとつ失敗をしない新しい日だと思うとうれしくない」「(わたしのいいところは)同じ間違いを二度と繰り返さないことよ」というのに対して、マリラに「いつも新しいのをしているんじゃ、それはなんのたしにもならないよ」と言われてしまう。マリラの巧まざるユーモアに微笑する場面です。
失敗した内容については反省し二度と繰り返さない。しかし、失敗したこと自体を悔やまず、来るべき未来を楽観的に考える。ビジネス(事業)そして人生に必要なのは、失敗の際の客観的な評価と反省・改善、その上での楽観的な姿勢です。自分にプライドを持ち、頭をあげてことにあたる。前向きに取り組んで結果として失敗したら素直に頭を下げる(日常的に俯いていると、それを下げた時にわかってもらえません)。そして、改善し、新たに計画する。PDCAサイクルまたはカナダにおけるプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神の体現、とまで言うのは大げさでしょうか。
3 アンが立派に成長し町の学校に合格して町を離れるときのマシュウのつぶやき
「あの子はわしらにとっては祝福だ。まったくあのスペンサーのおくさんはありがたいまちがいをしでかしてくれたものさ―運が良かったんだな。いやそんなものじゃない、神様のおぼしめしだ。あの子がわしらに入用だってことを神様はごらんになったからだと思うよ。」
1の想像が当たっていたとともに、うれしい違いが生じたのです。あの子の役に立つようにすることが、私たちの幸せにつながった。誰かにあるいは何かに貢献するということは、自分を生かし、自己実現につながる幸せなことだという信念が感じられます。
4 アンが、奨学金の権利を獲得し大学に進もうとするときにマシュウが亡くなり、年取ったマリラだけが残ってしまったときの決意。「あのときはアンは希望と喜びにあふれ、未来はバラ色にかがやいていた。そのときから、何年もたったかのような気がした。
しかしベッドにはいるころにはくちびるにはほほえみがうかび、心は平和になっていた。アンは自分のすべきことを見てとった。これを避けず、勇気を持って、それをむかえて一生の友としようと決心した―義務もそれに力のかぎりぶつかるときには友となるのである。」
アンは大学に行くことをとりあえず諦め、年老い衰えがみえるマリラとともにグリーンゲイブルズで暮らすことを決意します。苦しい選択であっても、現実を客観的にみて、自分の価値観に従い、自分が判断したことなら、前向きに生きていけるのです。アンは自分をかわいそうだなどとは思っていない。彼女の想像力は、与えられた状況の中で一所懸命しかし明るく生きていく自分の姿をとらえていたに違いありません。因みに、アンは後に大学進学も実現させます。
想像力とは、辛い時に明るい未来を思い、その未来に向かって日々の努力をする力のことをいいます。『赤毛のアン』は、人生という事業に対する姿勢の問題を明確に示しています。

ということで、今月の1冊、『赤毛のアン』、L・M・モンゴメリ著、文春文庫他多数。NHKドラマもあと5回ほどあるようです。こちらもお勧めです。